これまでに存在しなかった“聴くための”作品(装置)を作ってみたいと考えていた。音は、これまで加工し作り出すことに注力してきた歴史があり、サウンド・アートの歴史をみても聴くことについての作品はあまり存在しなかったからである。
このふうせんサウンド「巨人の耳」は、巨大なアドバルーンに自作の小型マイクロフォンを取り付け、上空から俯瞰した音を聴くための作品である。茨城県取手市に設置した利根川サイクルステーションからは、肉眼では確認することができない遠くの街の音や利根川の河川敷の様子を聴くことができた。また、広島県広島市中区南吉島にあるボートパーク広島に設置した際は、海上のどこか遠くで行っている作業の様子や機械の音などを、波が刻む緩やかな音のリズムの中で聴くことができた。
・取手アートプロジェクト2006
・広島アートプロジェクト2008
オーストリアのウィーンに行った時、それまでずっとやってみたかった録音を行った。それは、ウィーンの街中に設置されている作曲家の石像の両耳にマイクロフォンを設置して録音することである。録音されたフィールド・レコーディングの音には、ウィーンの街の音とともにゆったりとしたテンポで響く教会の鐘が収録されていた。そのリアルな鐘の音は時間軸を越えた超越感と言うべきか、作曲家がその当時の街で聞いていた鐘の音を本人と入れ替わって聞いているような感覚にとらわれた。
耳栓をしながら音のことを考えた。この一見矛盾した行為は、聞くことのはじまりに近づくための試行錯誤がきっかけであった。耳栓をして数分後、空間を構成している音は耳栓によって変化し日常の風景は一変する。肉眼から見えてくる風景は写真のようで、奥行きがなく平面的である。そして耳栓を外したそのわずかな瞬間、「聞く」ことが「聴く」ことへ変わる。この時、聞こえている「音」が豊だと感じる感覚は何を伝えているのか、音とは何なのかを問いかけているように思えた。