柳沢英輔 著『フィールド・レコーディング入門』の紹介

 

昨年、待望のフィールド・レコーディングに関するはじめての入門書が発刊されました。本が発売された後、即重版が決定し、また「音楽本大賞2023」の10冊にノミネートされ、この度大賞に選ばれました。本記事では本の内容について紹介したいと思います。

 

フィールド・レコーディングとされる野外録音(生録)は、70年代頃からカセットデッキの小型化により、屋外に持ち出して録音できるカセットレコーダーが普及したことで広く一般的に行われるようになりました。※1近年ではより小型軽量で高音質なデジタル録音が可能なデジタルハンディレコーダーの低価格が進み、現在もフィールド・レコーディングが盛んに楽しまれています。YouTubeやGoogleで「フィールド・レコーディング」と検索すると、野鳥の鳴き声や川のせせらぎの録音、電車の音、都市の音などの動画や音源、必要な機材紹介、また、フィールド・レコーディングのマップ作成などの情報にたどり着き、写真撮影を楽しむようにフィールド・レコーディングを楽しんでいることが分かり、その情報量の多さに驚かされます。また、アンビエントミュージックやドローンミュージック、ニューエイジの楽曲制作をしている作家が音源素材として「フィールド・レコーディング」を行い、楽曲に取り入れつつ音源制作をしています。

 

著者である柳沢英輔さんは、これまでに民族音楽学者としての著作「ベトナムの大地にゴングが響く」を出版、そしてベトナムにて現地調査と録音を行っています。そうしたフィールドワークが、今回出版された「フィールド・レコーディング入門」にも学術的な見地が色濃く反映され、本の中で紹介している自身のフィールドワークから制作した作品『Music Of The Bahnar People From The Central Highlands Of Vietnam』Sublime Frequencies 2016や沖縄を舞台にした『うみなりとなり』2018などを制作し、そこで行った手法と共に考察について詳しく記しています。

 

Eisuke Yanagisawa – Music Of The Bahnar People From The Central Highlands Of Vietnam

 

近年のフィールド・レコーディングを用いた表現方法と、分野を跨いだ様々な領域の立場の人によって実践された作品を紹介し、文化人類学者のスティーブン・フェルドの作品『Voices of the Rainforest』Rykodisc、最近の作品では、社会学者である開沼博の福島第一原発を舞台にした作品『選別と解釈と饒舌さの共生』Letter To The Future 2021を取り上げています。
その他、フィールド・レコーディング界隈で知名度の高いクリス・ワトソンをはじめとする作家や、アニア・ロックウッド、フランシスコ・ロペス、そして、アンガス・カーライル、トム・ローレンスなど、これまで日本ではあまり知る機会が無かったものの、極めて重要な視点を持った作品をリリースしている作家を紹介しており、作品の背景とともに分かりやすく記されています。
この本は、フィールド・レコーディングの領域を大きく四つの章にして体系化し、第二章「環境の響きを録る」、第三章「音楽の響きを録る」、第四章「聞こえない音を録る」、第五章「音のフィールドワーク」と構成することで、フィールド・レコーディングの全体像を浮き彫りにしていき、歴史を俯瞰しながら筆者の実践的な見地から現在までを包括的に捉え、咀嚼し吟味されて書かれています。
また、これまで国内外で、フィールド・レコーディングの入門書は発刊されて来なかったこともあり、「フィールド・レコーディング入門」は、この分野における画期的な入門書として間違いなくオススメしたい一冊です。

 

 

それではこの入門書から特にピックアップしたい章を中心に、
その内容について少し簡単に見ていこうと思います。

 

第二章「環境の響きを録る」

冒頭でも紹介しましたが、著者の柳沢英輔さんは、研究者でありながらフィールド・レコーディストとしての作家でもあり、これまでドイツの老舗レコードレーベルのGruenrekorderをはじめ、多くのレーベルから作品を発表しています。私たちがハンディレコーダーを手にした時にまず取り掛かるのは、身近な環境音を録音することでしょう。そこで手掛かりになるのが第二章「環境の響きを録る」で、これまでの国内外のフィールド・レコーディスト、クリス・ワトソンをはじめとする作家、フランシスコ・ロペスなど、各作家がこれまでリリースしてきた特徴的なアルバムについての解説が書かれています。なかでも章の冒頭に紹介されるクリス・ワトソンの制作手法は、その場の録音による生々しさ、ダイナミックさが編集によって作り出されていることがわかります。紹介されてきた作家が「環境」といった身近な録音対象に対して、どのように音に向き合っているのか、フィールド・レコーディングで制作している方にとって参考になる章でしょう。

 

chris watson – el tren fantasma

 

また、柳沢さんが制作したエオリアンハープの作品、『Path of the Wind』Gruenrekorder 2018は、エオリアンハープの歴史から始まり、ハープの制作工程や実際に音が出るまでの過程、エオリアンハープを使った録音手法、ハープと環境の関係性について深く考察されており、その音に対する姿勢は読んでいて参考になることはもちろん、音に内在している可能性の広大さに気付かされます。

 

Gruenrekorder · Path of the Wind | Eisuke Yanagisawa

 Eisuke Yanagisawa – Path of the Wind  >> 詳細はこちら

 

ワンショットで撮影された映像に、その場所で録音されたエオリアンハープの音源を重ねて制作された作品

 

 Eisuke Yanagisawa – Ridge Line

 

 Eisuke Yanagisawa – Ferry Passing

 

 

第四章「聞こえない音を録る」

次に、第四章「聞こえない音を録る」は、入門では留まらない次のステップとしてもう少し踏み込んだ内容となっています。通常使用されるマイクロホンではなく特殊なコンタクトマイクを用いた角田俊也による作品『Extract From Field Recording Archive』※2が紹介されています。この作品は、1997〜2001年と4年の歳月をかけて三浦半島の湾岸区域の振動現象を観察し録音したフィールド・レコーディングの大作で、収録されている音源の中で、停泊している船から伝わる振動とフジツボや貝によるクリック音などを聴き取ることができます。これらの角田さんの観察から見えてくる視点と手法は、その後のフィールド・レコーディングの歴史にどのような影響を与えたかを考えると計り知れないものがあります。次に紹介されているトム・ローレンスによる作品『Water Beetles of Pollardstown Fen』Gruenrekorder 2011は、水中の音が録音できる特殊なマイク「ハイドロホン」を用いて水中録音しています。その他、ディビット・ダンが自作したコンタクトマイクで植物の音を収録した作品なども紹介されています。

このように音声信号にすることではじめて人間が知覚できる音響世界が、この生きている地球に存在するのだと知ることができます。

 

Toshiya Tsunoda – 『Extract From Field Recording Archive』

 

JSCC · Tom Lawrence: The Water Beetles of Pollardstown Fen

Water Beetles of Pollardstown Fen – Tom Lawrence >> 詳細はこちら

 

この章の最後では、著者が超音波を人間の可聴範囲に変換できる特殊なデバイス「バットディテクター」を使った作品『Ultrasonic Scapes 』Gruenrekorder 2008が紹介されています。よくコウモリの超音波(鳴き声)が聞くことができるものとして市販でも販売されているものなのですが、このデバイスを使って街中を高周波変換して制作された音源を聞くと、これまで聞いたことのない音響が街に響いていることがわかります。

 

Ultrasonic Scapes  – Eisuke Yanagisawa  >> 詳細はこちら

 

この章の中で柳沢さんは、

 

“音というのが実際には「振動世界」全体のごく一部に過ぎず、我々には聞こえないさまざまな振動がこの世界にはあふれているということ、「それを単に知識として知るだけでなく・録音という実践(録音作品を聴くことを含む)を通して体験的に理解すること。このようにして知覚の閾値を想像的に広げることで、我々は新たな「身体」を獲得し、「世界」を異なる視点から捉えることができるようになるのだ”

 

と記しています。

 

このように音を通して体験する「世界」の異なる視点は、この章の冒頭で述べている近年の行き過ぎた経済活動の弊害や、人間中心的な価値観による環境問題など、人文・社会科学分野での脱人間中心的な視点へと繋がっていきます。この章では、多様な「振動」の世界の録音作品を通し、こうした問題を私たちに問いかけています。

 

 

第五章「音のフィールドワーク」

そして、第五章「音のフィールドワーク」は、録音する行為を社会的な関わりとして考えていく上で大変参考になる章です。柳沢さんが沖縄でフィールドワークをもとに制作した作品『うみなりとなり』2018は、現地の島民から聞き取り調査(インタビュー)をし、録音誘発(sound elicitaion)と呼ばれる手法を用いて、島の特徴とされる音をフィールド・レコーディングしたものが作品化され、講演会やワークショップも行われています。録音する行為と社会的な関係の中で、その可能性とこれからの応用が期待できる実践的な事例を紹介しています。

 

meditations · うみなりとなり Uminari Tonari Soundscape of Minamidaito Island Japan

うみなりとなり >> 詳細はこちら

 

次にアンガス・カーライルによる千葉県の成田を舞台に録音されたドキュメンタリー作品「Air Pressure」。1960年代から続く成田闘争などの歴史的な背景の地で、現在も暮らしながら農業を営んでいる人たちの日常をフィールド・レコーディングしたものが作品として紹介されています。また、ピーター・キューザックによるチェルノブイリを舞台に録音された作品『Sounds From Dangerous Places』ReR Megacorp 2012は、チェルノブイリ原発をフィールドワークした時の録音を中心に、現在でも村で暮らしている人々の生活音、立ち入り制限区域となったチェルノブイリの森の野鳥など豊かな生態系の音が収録されています。キューザックは、作品を通し音が持つ場所や出来事の情報、イメージや言語との違いを「ソニック・ジャーナリズム」として提唱するようになりますが、このような視点は、日本でこれまで紹介されてきませんでした。

 

Gruenrekorder · AIR PRESSURE | Angus Carlyle & Rupert Cox

AIR PRESSURE – Angus Carlyle & Rupert Cox >> 詳細はこちら

 

Peter Cusack – Sounds from Dangerous Places >> 詳細はこちら

 

Peter Cusack による「 Sounds from Dangerous Places」についての講演 - YouTubeより

 

そしてこの章の最後に柳沢さんは、

 

その場の「客観的なドキュメント」のようなものとして捉えられがちなこうした録音作品にも、調査者であり録音者である作者の視点が作品にはさまざまな形で反映されているということである。フィールド・レコーディング作品はある特定の時間、場所における音、記録であるだけでなく、その時、その場に存在した録音者自身の身体性の記録でもあり、さらには録音者と録音対象(調査者と調査対象)との関係性やプロセスそのものが作品のなかに織り込まれているのだ。

 

と記しています。

 

近年、学者やアーティストによる重要な作品が発表されたことで、フィールド・レコーディングの有効性と手法が認知されることにも繋がり、これまで以上に欠かすことのできない表現手法の一つであることを、この章を通し知ることができます。

 

 

本の最後に付録として収録されている鼎談について

2019年7月に角田俊也氏、柳沢英輔氏、佐々木敦氏によるトークイベント「フィールド・レコーディングとは何か?」が開催され、そのトークイベントの模様が鼎談として収録されています。フィールド・レコーディングで制作された作品は音楽と何が違うのか?から始まり、角田さんが長年取り組んできたアルバム『Extract From Field Recording Archive』の観察的な視点や、人間のこめかみから録音された作品『The Temple Recording』※3における、音の主観と客観、ステレオの拡張についての話などが語られました。柳沢さんは、ベトナムでのフィールドワークで体験したドキュメントの録音、その重要性について語っています。このトークから立ち上がってくる「フィールド・レコーディングとは何か?」は、実験音楽的なセオリーや西洋のコンポジションとは明らかに異なっており、両者ともに、これまで制作を通して培った考察を元に、作品化する経緯を作家本人が言葉で語ることで浮き彫りとなっていきます。

 

 

これまで各章を軸に本の内容について見てきました。恐らく、音と環境の関係性や普段聞くことのできない音の世界、録音する行為が社会とどのように関係しているのかを、これほどまでに多角的に考察・体系化し、実践的な取り組みを紹介している本は無いのではないかと思います。この本を手にとって読んだら、直ぐにハンディレコーダーで録音したくなるでしょう。そして録音された音を聴き直した時、その響きの中に新たな音の可能性を発見するかもしれません。「フィールド・レコーディング入門」は、これまで気づかなかった新たな音の世界へと、あなたをナビゲートしてくれるそんな本だと思います。

 

『フィールド・レコーディング入門』収録音源

出版元のフィルムアート社が運営する特設サイトにて、『フィールド・レコーディング入門』で紹介されているアルバムの音源が試聴できます。
www.kaminotane.com

 

 

プロフィール

柳沢英輔 (やなぎさわ・えいすけ)

東京都生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程修了。博士(地域研究)。同志社大学文化情報学部助教を経て、現在、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科特任助教。主な研究対象は、ベトナム中部地域の金属打楽器ゴングをめぐる音の文化。著書に『ベトナムの大地にゴングが響く』(灯光舎、2019年、第37回田邉尚雄賞受賞。日経新聞、読売新聞、ミュージックマガジンなど書評、インタビュー掲載多数)。共訳書に『レコードは風景をだいなしにする』(デイヴィッド・グラブス著、フィルムアート社、2015年)。

Web : www.eisukeyanagisawa.com

 

 

注釈

※1 金子智太郎 一九七〇年代の日本における生録文化──録音の技法と楽しみ
70年代の生録文化を包括的に捉えることができる数少ない論文〈図版入りのPDFがサイトより公開〉
https://tomotarokaneko.com/works/work2/

 

※2 Toshiya Tsunoda – 『Extract From Field Recording Archive』シリーズを3作CDでリリース。新たに二枚のCDを追加して、2019年に五枚組ボックスセットとしErstwhile Recordsから再びリリース(Bandcampにてデジタル版が入手可能 作家によるライナーは必見です〈PDFライナーノートが付属〉)

 

※3 Toshiya Tsunoda – 『The Temple Recording』角田俊也さんによって運営されていたレーベルedition.tより2013年のリリース(現在廃盤)

 

 

【 202305031 更新 】

柳沢英輔さんの動画『Ridge Line』と『Ferry Passing』、『Ultrasonic Scapes』の三作品と、角田俊也さんの『The Temple Recording』の音源を追加いたしました。

 

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  • 2023年5月24日