藤本 由紀夫「Sound and Vision」

写真提供:ギャラリーノマル

 

2024年2月から3月にかけて、藤本由紀夫さんの個展「Sound and Vision」が大阪のギャラリーノマルで開催されました。ギャラリーノマルは、大阪メトロ中央線の深江橋駅から徒歩10分ほどの閑静な住宅街、城東中学校グラウンドの裏手に位置しています。

 

 

今回の個展は、2022年に開催された「READ」から2年ぶりの開催です。ギャラリーノマルの特徴は、ギャラリーの裏手に版画工房があり、シルクスクリーンの専門スタッフが印刷作業を行っている点です。その環境を最大限に生かし、パウル・クレーをモチーフにした新作など、緻密で繊細な版画作品が制作されました。また、これまでのビジュアルとサウンドをテーマにした一連の作品も展示されました。

 

 

由紀夫さんのアトリエで、展覧会「Sound and Vision」の内容や新作の話を伺ったほか、展覧会の最終日にはクロージングライブにもお邪魔しました。この「trio」ライブには、藤本由紀夫さん、saraさん (.es)、そして“音響の鬼才”として知られる宇都宮泰さんが参加し、超満員の観客を魅了していました。これらの模様も合わせてお届けします。

 

 

 

FIVE-PART POLYPHONY(2024)について

写真提供:ギャラリーノマル
 

ギャラリーノマルに入り、天井が高く開けたスペースの左側面には、今回の新作「5声のポリフォニー」が展示されていました。これは、パウル・クレーの「5声のポリフォニー」を解体し再構築することで、新たなビジュアルを創出した作品です。

 

 

ここで、簡単にパウル・クレーのポリフォニー絵画とその概念について触れたいと思います。ポリフォニーはもともと音楽理論における同時性、つまり複数の主題が同時に進行することで表現される技法です。この概念は絵画やデザインにも広く影響を及ぼし、その理論に大きな発展をもたらしました。クレーは音楽と絵画の相互関係を重視し、その対位法を絵画理論に応用することに成功しました。クレーの作品は音楽のように複数の要素が調和しながらも独立して存在するという特性を持っています。

また、クレーはバウハウスの教授として着任してからは、ポリフォニー絵画の理論を体系化し、20世紀絵画の発展に大きく貢献しました。彼の理論と実践は、多くのアーティストやデザイナーに影響を与えています。

 

今回の作品も、クレーのポリフォニーの概念を再解釈し、現代的な視点から新たな表現を模索しています。この試みは、クレーの影響を受けつつも、独自の創造性を追求するものです。
この作品の構築について由紀夫さんに伺いました。まず、クレーの「5声のポリフォニー」に使われている図形を5つに分解します。それらを、シェーンベルクに代表される12音技法の最も基本となる「原形」「反行形」「逆行形」「逆反行形」の4つのパターンに基づいて、16の図形を作成します。

 


そして版画の面を縦横12のグリッドに分け、乱数を用いてそれぞれの図形を配置します。これにより、各図形の位置をランダムに決定し、それぞれを画面に配置することができるのです。

 

 

由紀夫さんは、この一連の制作過程において、自身の意思がなるべく反映されないよう心がけたとのこと。感覚に頼って図形を配置すると、どうしても作為的で似たような作品になってしまうため、それを避けるためだそうです。

 

 

 

 

「Erratum Musical-Color」の制作について

写真提供:ギャラリーノマル
 

「Erratum Musical-Color」は、入り口の左側カウンター近くと正面奥の左側、そして入り口すぐの右側付近に展示されていました。由紀夫さんがマルセル・デュシャンのErratum Musical(※)をテーマにした作品は、1995年からこれまで長きにわたって形式の異なる作品として制作されてきました。私が拝見した3331アートフェア2021での作品「符号理論/Coding Theory」は、Raspberry Piに標準インストールされている「Sonic Pi」を用いていましたが、今回は、デュシャンがErratum Musicalで作曲した方法を用いて、25色のカラーチップをグリット状に構成し、さらに同様の方法でピアノの音色が再生される作品として、これまでと大きく異なる作品が発表されていました。

※Erratum Musical…2オクターブの25の音程の音を記した音符のカードを帽子に入れ、一枚ずつ取り出して五線譜にメロディを書いて、その行為を3回繰り返して三声の合唱曲を書き上げたもの。

 

作品は木製の枠に収められており、2つのスピーカーが内蔵され、正面のカラーチップの下にあるスイッチを押すと音が再生される仕組みです。同様の再生システムを用いた作品は、異なる材質も含め8作品ほど制作されました。

 


一見するととてもシンプルですが、再生システムや作品の形状が決まるまで不要な機能を削ぎ落とし、複数の試作を重ねながら最終的な形状に決まったそうです。作品制作にあたっては、大阪の日本橋で再生システムのパーツを調達しているとのこと。中でも、表面のスイッチ(オルタネートスイッチ ※)は、最近使われることが少なくなってきたため、デザインにバリエーションがなく探すのに苦労したそうです。

※オルタネートスイッチ…1度ボタンを押すとON状態になり、ボタンから手を離してもON状態を保持する動作方式の自己保持タイプスイッチ。

 

 

アルミ板にスピーカーを設置したものは、アレクサンダー・カルダーのモビールのように動くことで音響的に変化が起きたり、アルミ板を曲げることで特殊な形状を作り出せるのが特徴です。

 

 

また、アクリルボックスに円形上の穴を開けることで、バッテリの取り外しを検討したそうです。

 

 

 


タイプライターの作品について

 

写真提供:ギャラリーノマル

 

由紀夫さんのタイプライターを使った作品は、展示に合わせ二種類のシリーズが制作されました。一つは「DEUT」シリーズで、アルファベット2文字が印字されることで、記号から特定の意味を持つようにビジュアル化されています。もう一つは「QUINTET-ECHO」で、ECHOの各アルファベットを分解し、一枚の紙に一文字ずつ印字して4枚の版を制作し、それらを重ね合わせて一つの作品を作り上げています。この手法により、タイプライターだけでは作り出せない独自の版画作品が生み出されています。

由紀夫さんの制作手法は、シンプルなタイプライターの構造を活かしながら、多様なバリエーションを生み出す発明的なシステムです。これらの作品は、由紀夫さんのレディ・メイドを象徴しています。タイプライターのキーを打つことで音が発せられ、セットした紙にアルファベットが印字されます。


そして、印字された紙がスコア(楽譜)として出力されます。このように、タイプライター一台で演奏から記録までを行っています。タイプライターを楽器として使用し、その本来の役割を変容させる点に作品の面白さがあります。由紀夫さんの作品制作は、これまで一貫してレディ・メイドの発想に基づいており、それと関連して、デュシャンの研究家としても知られています。

 

 

 

ここで、レディ・メイドという現代美術において非常に重要な概念について少し触れたいと思います。

 

Marcel Duchamp’s 1917 sculpture Fountain.

レディ・メイドの概念は、マルセル・デュシャンによって考案されたもので、大量生産された既製品をその機能から分離し「オブジェ」として提示することです。これは、表象的な作用や意味の排除、芸術生産におけるオリジナル性の否定を意味します。作家が「選ぶ」という行為が重要であり、それによって作家が作品に関与することがレディ・メイドの特徴と言えます。

 

左写真、『泉』(いずみ、Fontaine)は、1917年にマルセル・デュシャンによって制作されたレディメイドよる代表的な作品です。磁器の男性用小便器を横に倒し、”R.Mutt”という署名をしたものに「Fountain(噴水/泉)」というタイトルを付けたものです。 
写真・説明 wikipediaより

 

由紀夫さんはタイプライターでの制作について、次のようにおっしゃっています。

 

「アルファベットは26個の記号を並び替えることで意味のある言葉にする表音文字ですよね。それに対して漢字は表意文字です。例えば『月』という漢字は一つの象形であり絵画のようなものですが、アルファベットは単なる記号です。例えばGとOとDを並べると『ゴッド(神)』のように、それが偶然に並んだとしても意味を持つところが面白いと感じます。それは音楽の音符を並べ替えてフレーズを作るのと同じで、アルファベットを使うことは音楽の作曲と非常に似ているんです。」

 

このようなフォントとビジュアルの関係について、今回の展示の閲覧資料の一つとして「Typography Needs to be Audible」展覧会図録が置かれていました。

 

 

この展覧会図録は、2018年に亡くなったヘルムート・シュミットさんの回顧展「ヘルムート・シュミット タイポグラフィー:トライトライトライ」(京都dddギャラリー)に合わせて、由紀夫さんが中心となるphono/graphによって企画され、由紀夫さんが監修した展示の記録です。

 

 

シュミットさんは現代音楽に深く精通されていましたが、これまでこの点について注目されることはあまりありませんでした。しかし、由紀夫さんはシュミットさんの音楽的空間感覚に焦点を当て、シュミットさんの著作からその音楽的空間感覚を想起させる記述を抜粋し、自身のコメントを添えています。


図録の中で「活版印刷機で作曲をする そして」という項目があります。

 

 

そこに記載されている内容を紹介すると、

 

「黛(※)の涅槃交響曲は、その繊細な音色の構築と大胆な音の塊とで私に強烈な印象を与えた。作曲家本人に出会ってから、私はこの作品をタイポグラフィに翻訳しようと心に決めた。

 

黛はフルオーケストラと男声合唱によって密集音塊の創造を成し遂げた、それを私はタイポグラフィによって形作ろうと試みた。インクを無作為に塗布したり、経文の印刷ブロックの上にインク・クリーナーを振りかけたり、活版校正機の印刷スピードを変えたり、といったやり方を用いてみた。これらの作業はすべて即興で1970年に大阪のヤラカス舘の写植室で行った。」

 

※黛敏郎(まゆずみ としろう)…日本の作曲家。戦後のクラシック音楽、現代音楽界を代表する音楽家。

 

ちなみにここに記されている内容は、ヘルムード・シュミットさんが2011年にタイポグラフィーを中心にまとめた10のシリーズとしてhelmut schmid designより出版された冊子の中の「Typographic Reflections 7」に、1969年の黛敏郎さんとの二人のインタビューとともに収録されています。ヘルムード・シュミットさんの音楽的空間感覚を伺うことができる大変貴重な文献でもあります。

 

由紀夫さんがタイプライターを用いて制作した作品と、ヘルムート・シュミットさんが活版印刷によって作曲した作品には、音楽的空間感覚を軸に考えると、ビジュアルとして立ち現れる創作のプロセスや構造に大きな違いがあります。これらの違いは非常に興味深いものです。

 

 

 

クロージングライブ「trio」

 

写真提供:ギャラリーノマル

 

展覧会の最終日にクロージングライブ「trio」が開催されました。ライブチケットは即日完売し、当日は観客が身動きが取れないほどの超満員となりました。ライブでは、藤本由紀夫さん、saraさん(.es)、そして宇都宮泰さんによるサウンドパフォーマンスが披露されました。

 

まずは、メンバーのsaraさんについて紹介します。saraさんは、ギャラリーノマルを拠点に活動するコンテンポラリー・ミュージック・ユニット.es(ドットエス)でピアノ・パーカッションを担当し、ギャラリーノマルのマネージャーも兼任しています。彼女は多くのアーティストと共にギャラリーノマルでライブを行っています。また、2022年からは宇都宮さんと「Utsunomia MIX」プロジェクトを開始し、今回のライブでも宇都宮さんが考案した驚異的な音場とダイナミックレンジを兼ね備えた録音システムを用いてライブレコーディングが行われました。

 

次に、宇都宮泰さんの主な活動についてご紹介します。まず、Hacoによって結成され、1981年に活動を開始したAfter Dinnerにプロデューサーとして参加しました。また、日本の先駆的サウンドアーティスト鈴木昭男さんの活動記録を集成した『ODDS AND ENDS – 奇集』(2002)では、アナログ録音として残されていた音源を復元し、CDで再リリースしました。さらに、アンソニー・ムーアの幻の作品『REED WHISTLE & STICKS』(2022)では、ほぼ未使用のテスト盤LPに蒸留水を垂らしながら再生するという独特な手法を用いてデジタル化し、宇都宮さんのマスタリングによって作品が蘇りました。

 

ライブは、.esのメンバーであった故・橋本孝之さんが生前、由紀夫さんに特別に依頼して制作したプリペアド・ギター(※)のぜんまいバネを、saraさんが巻き、不確定なオルゴールの音色が奏でられる中、静かにスタートしました。

 

※プリペアド・ギター…由紀夫さんとギャラリーノマルのコラボレーションで制作(2点のみ  1 , 2 )したオルゴール+ギター。単音のみの発音に改造されたオルゴールが2個取り付けられ、ギターと共に演奏が可能。

 

写真提供:ギャラリーノマル


続いて、宇都宮さんは2台のノートパソコンを使い、1台目からはホワイトノイズを発生させ、2台目からは特定の周波数帯の音を切り出したサウンドを再生させました。

 

写真提供:ギャラリーノマル

 

中盤になると、由紀夫さんのタイプライター(パフォーマンスにはOlivetti LETTERA35を使用)のタイプ音がエフェクターで変調され、その音が鳴り響きました。

 

写真提供:ギャラリーノマル


そこにsaraさんのリングベルやカリンバ、テルミンが一つの空間で混ざり合っていきます。

 

 

パフォーマンスが終盤に差し掛かると、タイプライターがプロジェクションされ、いくつものリズミカルな音が響きながら徐々に重なります。爆音のタイプ音が鳴り止むと、静かにプリペアド・ギターのオルゴールの美しい音色だけが残り、静けさが会場を包み込んでいきました。

 

 

最後に、由紀夫さんが宇都宮さんを紹介する際、「僕にとっての最後の切り札なんですよ!」とおっしゃる一幕がありました。由紀夫さんの大学の後輩でもある宇都宮さんが専門学校で講師をしていた時代、よく由紀夫さんの家に泊まっていたそうです。そのような親交がありながらも今回が初めての共演ということで、とても貴重なライブパフォーマンスとなりました。

 

ライブ終了後、由紀夫さんはパフォーマンスで使用したOlivettiのタイプライターから出力された作品にサインをして、ギャラリーノマルのディレクターである林聡さんに手渡しました。これでクロージングライブが終了しました。

 

今回披露された「trio」のパフォーマンスは、宇都宮さんがレコーディングとマスタリングを手掛け、「Utsunomia MIX」シリーズとしてCDリリースされました。盤面には由紀夫さんが制作した作品が印刷され、また、パフォーマンスの模様を収めた写真と坂口卓也さんによるライナーノーツがインサートされています。

 

また、個展で発表された作品について、ギャラリーノマルのオンラインストアで購入することができます。比較的購入しやすい価格帯のマルチプル作品から一点物(残り少なくなっていますが)まで幅広いライナップになっています。

 

ギャラリーノマル オンラインストア →   https://store.nomart.co.jp

 

基本情報

展示タイトル : 藤本由紀夫 Yukio Fujimoto : sound and vision

会期 :2024年2月10日~3月9日

会場: ギャラリーノマル

住所: 大阪府大阪市城東区永田 3-5-22

電話 :06-6964-2323

開館時間: 13:00~19:00

休館日 :日、祝

観覧料: 無料

アクセス: 中央線深江橋駅1出口徒歩5分

URL:https://www.nomart.co.jp

https://www.nomart.co.jp/exhibition/detail.php?exhCode=0206

写真・図版提供:ギャラリーノマル

 

参考文献

 アンドリュー ケーガン(著) 西田 秀穂 (訳) 有川 幾夫(訳) (1998)『パウル・クレー 絵画と音楽』音楽之友社

ハーヨ デュヒティング(著)後藤 文子(訳)(2009)『パウル・クレー 絵画と音楽』岩波書店

Wikipedia  『レディメイド』

アートスケープ https://artscape.jp/artword/

  • art 
  • exhibition 
  • 2024年9月3日