2022年10月30日(日)に清里現代美術館のコレクションを扱った1日だけのPOP UP SHOPをオープンすることができました。3331アートフェアの開催に合わせたこともあって、アート関係者やアーティスト、現代美術に関心のあるお客さんが多数来店されました。
来店者一人目は、かつて清里現代美術館に何度となく通っていたお客さんで、その当時の美術館の様子をうかがい知ることができました。その後もお客さんはほとんど途切れることなく、清里現代美術館の概要パネルや作品をコレクションをされた伊藤信吾氏のプロフィールパネル、開館当初のダイレクトメールやリーフレット、ミュージアムニュースなどをみなさんに見ていただけました。
閉店時間に近づく中、閲覧用の企画パンフレットを読んだ学生さんだと思われるお客さんからは、レコードコレクションで構成された展覧会『抵抗の音楽展』をはじめ、一連の企画について当時どのように行われたのか質問がありました。レコード世代の方々にとってレコード・メディアによる企画(レコード・コンサート)は馴染みがあったかもしれませんが、今の世代にとってはとても新鮮に映ったのかもしれません。しかし、私がこの企画を知った時点では既に写真資料は残されておらず、当時の様子について、パンフレットの内容以外はその方にお答えすることができなかったのが心残りです。
今回の展示準備の最中に、広瀬豊氏が企画展示『John Cage Memorial』の企画のために20枚だけ制作したCDが発見され、その音源を会場で再生することができました。展示空間は清里現代美術館の展示室ではありませんが、再生された音響は、不確定なケージのサウンドコラージュの中にきらびやかなシンセサイザーの音がアクセントになり、その“HIROSE SOUND”によって空間の質が一変したことは、私を含め来店者の方々にとって特別な聴覚体験になったのではないかと考えています。
日本のアンビエント作家としての側面がクローズアップされている広瀬豊氏ですが、執筆者としての面も展示で紹介しました。
現代音楽を中心とした一連の企画展は、伊藤信吾氏と広瀬豊氏の交流から清里現代美術館のコレクションが現代音楽やサウンド・アートにも向かって発展していきました。それらの企画展のために制作されたパンフレットには、広瀬豊氏執筆の解説『仮題:音に棲む社会』や『ジョン・ケージ 1日2時間の音楽展について』が掲載され、広瀬豊氏のサウンド制作における思考の深さを読み取ることができる内容となっています。これらの展覧会パンフレットの複製版を制作しみなさんに見ていただくことができました。
今回は、清里現代美術館がこれまで収蔵してきたサウンドコレクションについて、一部ではありますが紹介することができ、改めて現代音楽の企画展について知る機会になったのではないかと考えています。
1947年 東京中野区生まれ 大学卒業後、東京都の中学校美術教師を定年まで勤める。1980年のかんらん舎でのヨーゼフ・ボイス展を観て、ボイスのマルティプル収集を開始 ボイスが亡くなった1986年に初台の自室を改装、収集した資料を展示公開するBeuys Roomを開設。展示は予約制で、週末に公開。 1990年、伊藤家の兄弟の協力により、ボイス・ライナー・フルクサスを軸にしたコレクションで山梨県清里に清里現代美術館を設立。信吾氏本人は東京で教員を続け、兄の修吾氏が館長となる。 主な企画展としては、1991年 ヨーゼフ・ボイス ポスターコレクション(川崎市市民ミュージアム)や1992年にジョン・ケージ メモリアル、1999年にアーティストブックの世界展(甲府市教育委員会)がある。 他、1991年から1999年までの企画展示に協力。2014年に清里現代美術館が閉館となり、2017年に伊藤信吾氏急逝。
1961年生まれ、山梨県甲府市出身。1986年にミサワホーム総合研究所サウンドデザイン室が企画した「サウンドスケープ」シリーズから、アルバム『Nova』をリリース。同年に、芦川聡が設立した株式会社サウンド・プロセス・デザインに参画し、文化施設や商業施設などで流れるサウンドデザインの制作を手掛ける。2019年にスイスのレーベル〈We Release Whatever The Fuck We Want〉から未発表音源を加えて『Nova』がリイシュー。2022年5月に〈Arcàngelo〉より36年ぶりとなるセカンドアルバム『Nostalghia』をリリース。7月に〈We Release Whatever The Fuck We Want〉からサードアルバム『Trace: Sound Design Works 1986 – 1989』をリリース。